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箱根甲子園

「箱根竹開花之碑」

2023/02/06

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国道138号線、仙石原から宮城野へ向かう小塚の先、左側に建つ石碑。
気にして見ていないと見つけられない様なひっそりと建つ石碑ですが、
箱根の昭和初期の歴史を伝えるものです。
その碑文に記されているのは、以下のことです。

箱根全山に自然繁茂せる篠竹は
本村唯一の産業資源なり然るに
昭和八年春より開花結実し漸次
其範囲を広め同十年秋に至り村
内全面積約二百町歩悉く枯死す
時偶群鼠の繁殖甚しく竹の美を
食い尽して植林及農作物に被害
を及ぼし県当局の援助を受け駆
除に努む聊か録して之れを伝う
 昭和十一年十月廿日
          仙石原村

当時の箱根の人は何故かハコネダケと呼ばず「しの竹」と言っていたそうです。
ハコネダケは当時重要な産物として出荷され、箱根の生活を潤していましたが、
竹は60年周期で開花して枯れてしまう、とよくいわれていますが、ハコネダケは
昭和8年の春から開花し、わずか2年で全山の竹が枯死してしまった。
地元の人達が「あかねずみ」と呼んだハタネズミが異常繁殖したためである。
その栄養価の高い種子を食べて繁殖力が高まったものと考えられたようです。
竹の実を食べつくしたハタネズミの大群は、森林や原野も喰い荒したために
初夏の箱根全山が秋色を呈したという。そして、ついに食べ物のなくなった
ハタネズミの大群は、昭和11年芦ノ湖に入水して、集団自殺してしまい、
その様は、「木の葉の浮くようであった」という。
当時の仙石原村と、箱根町他二ケ村組合役場が、それぞれ「箱根竹開花の碑」を
残していることも、その痛手を知ることが出来ます。
箱根町他二ケ村組合役場が、建てた碑は、残念ながら今は建っていないので、
仙石原村の建てた碑だけが残り現在に至ります。
国道138号線を通る時は、気にして見てみて下さい。


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〒250-0631 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原大原817-253

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