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箱根甲子園

2024/06/16

箱根昔ばなし【箱根の親不知(脚気地蔵)】

  神奈川県・箱根町と静岡県との県境の箱根峠近くの平坦な草むらの中に立つ脚気地蔵(親知らず地蔵)と呼ばれる地蔵尊碑があります。この石碑にまつわるお話です。   時は江戸、大阪で呉服問屋を営んでいた堺屋十郎兵衛の一人息子の喜六が道楽に身を持ち崩した上に、行く先が知れなくなりました。十郎兵衛は一人しかいない子供の事が心配で殊に老い先短い事もあって、なんとか探しあてて、家業を譲りたいと方々訪ね回りました。風のたよりで、息子が江戸で放浪していることを耳にしました。なんとかして息子を探し出そうと老の身もいとわず、息子を探す旅へ、大阪から江戸に向かいました。   ようやく箱根峠近くまでたどり着くと、もう日も暮れかけていました。ちょうどそのとき、運悪く持病の脚気に襲われたのです。持っていた薬を口にする間もなくそこに倒れ、息も絶えるほど苦しんでいました。   すると、たまたまそこを通りかかったのが息子の喜六でした。しかし、まさかこの息も絶え絶えに苦しんでいる老人が、自分の父親だとは夢にも思いませんでした。思わず駆け寄って抱き起こしてみましたが、もはや手の施しようもない状態でした。仕方なく石畳の上に寝かせたとき、老人の懐からずしりと重い財布が抜け落ちました。辺りはもう既に薄暗くなり、どこにも人影は見えませんでした。   魔が差した喜六は老人の腰の道中差を抜いて、一気に老人の息の根を止め、金を奪って一目散に坂を駆け降りました。革財布の中の大金に、一度は喜んだ喜六でしたが、財布の底にあった名札「大阪京橋・堺屋十郎兵衛」からその老人が自分の父親であったことが分かり、びっくり仰天しました。   彼は一目散に引き返して、死骸に取りすがり、泣いて詫びましたが、すべては後の祭りでした。 哀れな喜六が、この事実を書き置きとし山中新田の宋閑寺で、同じ刃で自害したのはその翌朝の事でした。   現在あるこの地蔵尊碑は、土地の人々が、この親子のこの上ない不幸な巡り合わせに同情し、2人の冥福を祈って建てたものです。この碑は以前あった場所から移されていて、当時は「墓」であったと思われます。後年この碑が脚気地蔵と呼ばれ「脚気」に効くと言われ信仰を集めました。

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