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蓼科アネックス

神無月のころ

2010/11/19

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本日の蓼科は晴れ、外気は日中で12℃でした。
時折吹く木枯らしは、より一層冬の到来を感じさせられました。
道路脇には一部白い物体が見受けられます。
ご来蓼の際は、チェーンのご持参をお忘れないようご注意下さい。

本日は蓼科よりお車で40分、諏訪大社上社本宮に足をのばしてみました。
ご存知の通り、本年度は七年に一度の日本三大奇祭「御柱祭」が行われました。
本宮の四隅には結界となる4本の大きな柱がより一層目立ちます。

今月は旧暦の「神無月」。俗説では今月は「出雲大社」に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなると言われています。
よって「出雲大社」のある「島根県」では古来より「神無月」を「神在月」と呼称していました。
実はこの諏訪地方でも今月を「神在月」呼称していたのはご存知でしたでしょうか?
俗説ではかつて諏訪大社の祭神であった「諏訪明神」があまりにも大きな体であったため、それに驚いた出雲に集まった神々が、気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」ということになり、神無月にも諏訪大社に神が有ることから神在月とされています。
又、神戸の「西宮神社」に祭られている「恵比寿様」(「えべっさん」)も足が不自由のため出雲には出向かないとの俗説があります「。

神話では天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命に国譲り、支配権を譲渡するように迫りました。
これに対して、大国主の長男である建御名方命が(タケミナカタノミコト)国譲りに反対し、武甕槌命(ににぎのみこと)と相撲をしたが負けてしまいました。
そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、この地で王国を築いたと伝えられています。

諏訪と出雲は距離的にはおおよそ660km離れています。点と点が線となりつながる「神話」「歴史(?)」を追求すると、本当におもしろいですね?
これを機会に信濃の国(科野国)の言伝えや歴史に触れてみては如何でしょうか?

※写真、上と中は「諏訪大社」。下は出雲大社神楽殿。
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